泉州 わたりがに物語


泉州 望郷のワタリガニ

冬の満月はオレンジ色を帯びていた。まもなく夜が明ける。

漆黒の海を、裸電球をぶら下げた漁船が一隻、また一隻と泉州の沖へ走り出す。うなるエンジン、頰をさす風。高速道路の照明が船上から遠くに見えた。

運がよければ出会えるかもしれない。幼いころ、よく食べたあのカニに。

大阪府岸和田市の港から沖合5キロの漁場についた。音揃政啓(おんぞろまさひろ)さん(53)ら3人の漁師が水深19メートルの海底へ網を下ろし、船を進める。かぎ爪状の鉄の漁具で底を掘り起こし、砂や泥土に隠れている魚を網に入れていく。

30分で引き揚げだ。膨らんだ網が海面から姿を現すと、カモメたちが追いかけてきた。

船尾のテーブルに網を広げた。シタビラメ、蝦蛄(しゃこ)が跳びはねる。漁師たちの声が飛んだ。

「カニはどうだ?」

魚介の山をかきわける。深緑色のトゲがピクリと動いた。

「ガザミ、入ったぞ」

探していたワタリガニ。暴れないようハサミをゴムで縛る。丸みがある。子もちのメスだ。

「赤いのが内子。いまが最高においしいよ。高級品だ。これで漁に勢いがつくね」

漁場をかえながら約10時間。21回網を入れ、カニは5匹だった。「昔はようけとれたけどな。今日はぼちぼち。いい値がつくよ」と音揃さんが言った。(高木智子)

■だんじりで出たのはしょうゆ味やった

朝5時、じんと冷える大阪・岸和田の港で競りが始まった。

みずみずしい魚介を各漁船の主がトロ箱に積んでいく。「ええかい、ええかい」。調子のいい声とともに、仲買人たちが競り落とす。音揃政啓さんのメスガニは1キロ3千円。やはり冬の子持ちのメスは値が高い。

ワタリガニは主に瀬戸内海全域や九州の内湾で取れる。博多の実家でも冬の朝といえば、ワタリガニのみそ汁だった。湯気の立つおわんにオレンジ色の内子や汁をしっとりと吸った身を見つけると、顔がほころんだっけ――。

大きさ、身づまり、味と三拍子そろう大阪産は抜群という。「大阪湾はえさが豊富。夏は脱皮にエネルギーを使うが、冬は栄養が体にまわる。味がよく、しっかりした身になる」と府立環境農林水産総合研究所の日下部敬之さんが教えてくれた。

大阪府泉佐野市で専門店にたどりついた。割烹(かっぽう)「松屋」だ。

「大阪のカニはどこよりも甘くて、濃い」と主人の濱田憲司さん(52)は言った。いけすには車で5分の泉佐野漁港から直送されたカニが200~300匹。生きたカニを客に見せ、その場でさばいていく。

内子を抱えたメスは11月から春先が旬。造りもいけるが、蒸すのが基本という。「ごちゃごちゃと手を加えないのが、楽しんでもらう最良の方法」

蒸し器で30分。湯気の先には朱、赤、柿色に染まった姿があった。両刃の包丁で縦に真っ二つに割る。胴に淡雪色の身がぎっちり詰まっていた。内子が甲羅の隅まで張りついている。食べ損ねると後悔するところだ。

強い甘みに体がのけぞった。「小さいころ食べたあの味や」

焼きガニは力強く、ねっとりしたコク。カニちりはしみ出したうまみを自らまとい、滋味がある。調理でこうも違うのか。

1970年代、ワタリガニはトロ箱に山積みされていた。安くてうまい、庶民の味だった。「ぎょうさん取れた時代は泉州も繊維産業が元気がよかった」と濱田さんは懐かしむ。

「だんじり祭りで出たカニはしょうゆ味やった」「兄貴と取り合ったな」。古き良き時代を語る客の姿に濱田さんは思う。

ノスタルジーを呼び起こす味なのだ、と。

なるほど。だから時折、私は無性に食べたくなるのだ。(文・高木智子 写真・林敏行)

■(取材余話から)寒さの中地道な作業

「冬の漁は約束はできないよ」

天候が荒れたら漁には出られない。水温が低いからワタリガニは動きが鈍くなり、土中に身を潜めている。1匹もとれないかもしれないよ――。取材を申し込んだ時、漁師の音揃(おんぞろ)政啓さんに念をおされた。

漁船の取材が初めてなうえ、天候などの不確定要素が重なり、不安が募った。

取材日は1月半ば。前夜に天気予報を確認すると、気温は零度に近いが、波は穏やかという。

早朝5時。大阪府岸和田市の漁港前で音揃さんと合流した。防寒着6枚を重ね着し、カイロを背中にはりつけての完全装備で臨んだ。音揃さんたちはゴルフ用のヒーター付きのジャケット。「海上の寒さは並大抵じゃないからね」。ライフジャケット、長靴を着用して、漁船「住吉丸」に乗り込んだ。

午前5時半、漁港にサイレンが響いた。出港の合図だ。住吉丸もエンジンをかけた。ぐんぐん港を離れていく。先に出た船が、海の色に溶けたのか、見えなくなった。漆黒の空が美しい。関西空港に照明がともっている。オレンジ色の満月はまもなく沈みそうだ。

モニターで漁場を探すのは音揃さんの息子の将仁さん(26)。将仁さんの友人、永嶋一也さん(25)も同乗している。「きのうの漁ではワタリガニは1匹だった。今日は大丈夫かな」なんて言うものだから、心配が募る。

夜明け前だった。3人が網がついた鉄製の漁具を左右両舷から海底に下ろし、「石桁網(いしけたあみ)漁業」が始まった。底引きのひとつだ。

網を引き揚げ、仕分け用のテーブルに広げた。ジャコエビ、蝦蛄(しゃこ)、アカシタ(シタビラメ)、ミミイカ、トリ貝、タコ……。売り物にならない小ぶりの魚は再び海へ。

カニが、いない。

1回目、2回目、3回目と空振り。空が白み始めたころの4回目だった。

「かかってる!」

深緑色をしたワタリガニだ。オールの形をした遊泳脚がついている。海流に乗れば一晩で数十キロは移動できる。「筋肉が発達して身がおいしいよ」と音揃さんが教えてくれた。

18歳から漁に出ている音揃さんによると、若いころは蝦蛄(しゃこ)やアナゴがもっととれたという。ワタリガニは4~5年に1度、当たり年がくるが、最近は低迷。台風や天敵タコの状況で左右されるという。

船上では漁師が作業の手を止めたところを見なかった。食事は朝も昼も3、4分。愛妻弁当をかきこんでいた。このときが唯一の休息だ。「遠くは明石海峡大橋六甲山、生駒山もくっきり見えるよね」。穏やかに景色を楽しんだのもつかの間、再び網を引き揚げる。魚介だけでなくゴミも混じって重たくなった網をたぐり寄せる。聞けば、100キロ近いというから重労働だ。

そんな話をしていたら、漁師を継いだ息子の将仁さんは言う。「地味な作業の繰り返し。でも漁師になってよかった。大阪湾の魚はおいしい。うちの夕食のおかずはごちそうだしね」

下船すると、ほかの船の漁師たちとすれ違うたびに質問が飛んできた。

「トイレ、どうしたの?」

記者に向けられた質問のほとんどが、その心配だった。出港して帰港までの10時間。漁船にトイレがなかったからだ。

「乗る前から水は一滴も飲んでませんから。なんとかなりました」。実のところ、緊急時に備えて、災害用簡易トイレを数個も持ち込んだ。加えて、お年寄りの介護用おむつをつけての取材だったのだ。

「寒のころが実にうまい」と聞き、味わう取材は2月に決めた。

泉佐野市市場東の割烹(かっぽう)「松屋」。「ワタリガニ一筋」とうたう。

主人の濱田憲司さん(52)は自称「わたりがに博士」。こよなくワタリガニを愛する様を、ブログや店のホームページ(http://www.kappo-matsuya.jp/)で発信している。

創業は1964年春。宮崎の漁師の家に生まれた父の敏雄さんが、18歳で関西に出てきて、泉佐野で料理店を始めた。

漁師町で育った敏雄さんは、ワタリガニの味の良さは知っていた。フグをまねてカニちりにしたところ評判に。その後、特注のオーブンで340度の高温で一気に加熱する「焼きがに」もメニューに加えた。

冬だからと、旬のメスガニを準備してくれた。

腹部の急所を千枚通しで突き刺した。3秒ほどでおとなしくなる。締めた直後のカニを真っ二つに割ると、はじけるようにウニの色をした内子が飛び出してきた。そのまま造りにするのだという。

泉州の繊維産業が盛んだったころ、トロ箱いっぱいにカニがよくとれた。料亭で食べるのはゴルフ帰りの男性ばかり。家庭への土産用にと濱田さんの母親が考案したのが、いま全国から注文が相次いでいる「カニ飯」だ。

生のカニと一緒に炊き込んだギンナン、ニンジンで彩りもいい。香ばしいしょうゆの香りが食欲をそそる。

なぜ全国から注文が来るのか。

地元の泉佐野市は財政的に苦境が続く。「泉佐野自慢のワタリガニを出してもらえませんか」と市から要請を受け、「ふるさと納税」の寄付者へのプレゼントを引き受けたという。

当初は、市役所から月に2~3個と聞いていたのに――。この1月だけで300件の注文が入り、数カ月待ちの状態だという。

「店としては、もうけがでないけれど、市を元気にするために協力したい」と踏ん張っているのだ。

やはりワタリガニには、ふるさとを感じさせる力があるのだ。(高木智子)

■(撮影余話から)海面に目こらす漁師追う

山を駆けるイノシシの次は、海を駆けるワタリガニ。英語でswimming crab(泳ぐカニ)というように、一日約40キロを移動するともいうカニを追い、漁船に同乗取材した。カニは捕れるか、写真は撮れるか。それよりもっと心配なことがあった。

船酔い。冬の泉州の海は荒れるという。週の半分、漁に出られないこともあるそうだ。以前、台風が接近した沖縄の離島で定期船が止まり、漁船で脱出した経験が頭をよぎる。当時の波は約4メートル。20キロ離れた隣の島まで約1時間。船のへりから頭を突き出し、涙目で海面を見続けた。今回は10時間。覚悟がいる長さだ。

いざ当日。酔い止めを飲み、前夜は9時に寝た。岸和田から出港すると、同乗させてくれた漁師の音揃政啓さんが「今日はべたなぎやね。普段はこんなやない」とにやり。堺市の工業地帯にある煙突から、まっすぐ煙が上っていた。

30分に一度のペースで引き上げる網の中に、カニは1匹いるかどうか。青茶色のカニをいち早く見つけ出そうと、漁師は海面に目をこらす。一部始終をデジタルカメラで撮影したが、モニターでの写真の再生を最小限にとどめ、下を向かないようにした。

大小のシタビラメ、体長5センチほどのジャコエビ、紅色の貝殻のトリガイ――。網の中の様々な魚種の仕分けを見ていると、時間はどんどん過ぎた。木くずやプラスチックゴミ、空き缶も交じる。青緑色の女性用下着が入っていることもあった。

昼から波が出た。煙突の煙が斜め45度にたなびく。音揃さんは「危ないからどっかにつかまってて」。撮影の手を止め、青空と光る水面、舞うカモメをぼんやり眺めた。帰港まで2時間。春を思わせる景色に、船酔いの不安は消えていた。(林敏行)

朝日新聞 関西味百景より