日別アーカイブ: 2020年6月11日

なぜワタリガニ専門店なのか。割烹松屋

なぜワタリガ二専門店なのか?

いつもお世話になりありがとうございます。

今年の四月で創業56年になりました。

昭和39年4月に泉佐野市上町で

父と母が開業いたしました。

私は当時3歳でした。

当時、大阪湾ではわたりがにが

とても沢山取れました。

私が小学校の時は

土曜日のお昼の食卓には

蟹の小さいのと、タコなどが

上がっていました。

「またカニとタコなんや!

オムライスや、コロッケの方が

いいのに。」とよく2つ下の弟と

言ってました。

今思えば贅沢な話ですね。

その当時から蟹のお鍋

「かにちり」を中心に地元の

お客様にご利用頂いてました。

特に地元の会社さんや社長さんに

かわいがられて今日があると聞いています。

それからは、わたりがにも中心でしたが

一般にいう、お祝い事や法事など

色々な仕事がありましたので

土日は夜なべも当たり前でした。

 

しかしバブルがはじけ、得意先の会社さんも

やめていくところも多く大変だった

事が思い出されます。

その当時もワタリガニは大阪湾で

とてもよくとれていました。

しかし蟹の値段も高騰し、外国産の

わたりがにも良く見られるように

なりました。

昔から、わたりがにだけは

手を出すな。

生きていないと調理できないのに

すぐに水槽で死んでしまうからです。

ですから美味しいとわかっていても

誰もそれを冠にしたお店をするという事は

誰も考えなかったようです。

やはり扱いが難しく

手間も動力もかかります。

それ以上にロスが大変かかりますから

命がけで向き合う覚悟がないと

できない仕事です。

決してネガティブではありませんが

仕入れや、1日で死んでしまう事などは

決して計画通りに、

うまくいったことが一つもありません。

台風や雨降りが続くと

入荷が10日くらいないこともざらですし

それを回避するためにかにをたくさん仕入れると

蟹が毎日20匹から30匹死にます。

毎年2から3回全滅することもあります。

上手くいった試しが一度もありません。

それを逆に受け入れて楽しむしかないのです。

 

お店が暇な時もありますし、

今までももう終わりや、やめようと

思ったことも何回もありますが

何とか踏みとどまり

色々な方からの応援で今日まで

やってこれたと人の思いに

感謝しかありません。

おそらくワタリガニ専門店は

365日いつ来ても生きたワタリガニが

食べれるのは割烹松屋しかないと

思っています。

ですからそもそもなぜワタリガニ専門店

をやっているのかと理由がここにあります。

私たちがやめてしまえば大阪湾の

泉州地域の食文化や風習が

なくなってしまうからです。

この変わったワタリガニを自分たちが

やり切り、全国だけでなく

世界の人にわたりがにの美味しさを

知って頂きたい。

私には世界にこの味を伝える使命がある。

そう感じています。

長文になり申し訳ありません。

お付き合いありがとうございます。

割烹松屋  濱田