ご案内
わたりがにクレイジーvol:2 オスガニの旬が到来。
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皆様、こんにちは。松屋の濱田です。
梅雨になり、ジメジメした日が続きますが、皆様方はお変わりありませんか? さて、前回よりデビューしました「わたりがにクレイジー」ですが、 第2号目の今日もいろいろとお知らせできればと思います。 |
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ふるさと納税 復帰祈願 地元を想う
いつもお世話になります。
6月の30日に泉佐野市のふるさと納税の
判決が出ます。
そこで今の現状を私の考えで
お話ししたいと思います。
1.泉佐野市が不指定(除外)
になったことによるお店への影響について
ふるさと納税がなくなったことで
お店が危なくなるのは如何なものか?
依存するといけないことは承知しています。
ふるさと納税の除外による影響だけでなく、
年明けからは、
コロナウイルスの影響もあり、はっきり言えば、
経営としては「ダブルパンチ」を食らったような状況。
お客様の外食ニーズも減少し、予約キャンセルも
相次いでいるので、本来であれば、
コロナの状況下だからこそ、本音としては、
ふるさと納税の仕組みに甘えて、
各地へ商品をお届けしたいところ。
今になって、地元が奮闘してくれた
「ふるさと納税」の取り組みの有り難みを
事業者として実感した。
一方、私も経営者の一人として、
ふるさと納税除外とコロナのダブルパンチに
よる経営難を理由に何もせずに待ちぼうけは
お店を経営させる上ではできないので、
泉佐野市のイノベーティブな考えを見習って、
私もクラウドファンディングに挑戦したり、
これまでお店で行なっていた通販や持ち帰り
販売のあり方を一新させ、いろんな意味を込めて
「こんな時だからこそ、
家族と一緒にご自宅で美味しいご飯を食べてください」
と訴え、多くのお客様のニーズを得ることができた。
これも、ふるさと納税に一事業者として
参加させていただきながら、
泉佐野市の手法から私が学んだ、
私流の広報術でした。
2.裁判にまで発展したことについて、事業者側としての受け止め
報道やSNSの様々声を、一泉佐野市民として拝見しているが、
市の対応はなんら間違っていなく、
私も大いに賛同したいと思っている。
ましてや、ふるさと納税の制度があったからこそ、
市の事業者同士が密に繋がり、新たな商品の開発や
お互いに連携して街の活性化に対して本気で
考える機会を作っていただいた。
ただ単に市の財政難を挽回しただけでなく、
各地域の特産品や地域の魅力をもっと
自分の市単位で発信していいのでは?と初めて
疑問視をしたのが泉佐野市の実例だと思っている。
これは、成功モデルとして全国各地に発信するべき。
地元のために何度転んでも何度でも立ち上がる
この人達(阪上さん)の姿を見ていると、
「負けんな!」と率直に思う。
(例えるなら、弱い時の阪神を応援しているような気持ち)
だって、皆さんは、市の看板を背負って、
自分の顔を世間に曝け出して、
国と正々堂々と戦うことはできますか?
私は、できないかもしれないと思います。
まずは、ここまで闘っていただいた阪上さんら、
皆さんにエールを贈りたいですね。
3.泉佐野市が勝てる可能性が高いという状況であるが、復帰に向けて期待すること
(A これは私のセリフではないが、
裁判に勝つことがゴールでなく、泉佐野市の
主張が正当なものであると国に認められ、
泉佐野市という対岸に関西空港のある世界の窓口が、
再び、地域の特産品を国に邪魔されることなく、
胸を張って主張できる世の中へイノベーション
させていくことが真のゴールだと思っている。
裁判に勝つことができたら、
再び大変なスタートの始まり。
まだまだ道のりは険しいが、
たくさんの熱い思いを持った事業者と
一緒に乗り越えていきたい。
また、ふるさと納税の制度が再開した際には、
地元の特産品である「わたりがに」をふんだんに
用いた商品作りについても積極的に市と
検討していきたいし、
だいたいの商品は見出すところまできている。
割烹松屋 濱田
外食をあきらめている方へ 店主の思い。
先日ご法事の後にお墓に行かれてから
食事をしていただきました。
先代のころから贔屓にして頂いているお客様です。
もう82歳になられたそうですが
いつもの元気がなく少し表情も冴えなかったので
奥様に聞くと
「お母さん、もう数年前から糖尿病を
患って、辛いらしんです。
食欲もなく痩せてきてるんです。」と
おっしゃられていました。
久しぶりに兄弟、親類が
一緒なので無理に来てもらたそうです。
今日もワタリガニのコースでしたので
食べれるかどうか心配でした。
料理が終わって食べられているか
スタッフに聞きますと、
「きれいに完食されてます。」
奥さんが精算の時に
「ありがとうございます。あの母が
美味しい美味しいと完食しました。」
「いつもあいそうがないといって
家では全く食べないんです。
食べられんようになったら
もう終わりや!!が口癖です。」
お帰りの時お母様が
「美味しかったです。
色々と気にかけて頂きて
ありがとうございます。
こんなに食べれて嬉しいです。」と
言って頂きました。
大変うれしいですね。
人間はみんな平等に年を取って
行きます。
食べることは当たり前なことですが
食べることで元気になる。
そういう日常になればいいですね。
本物の食材や人が集まり
笑顔でお話などそういう事に治癒力が
あるように思いました。
ワタリガニの底力でしょうか(笑)
ありがとうございます。
食べたいものが 食べにいけない。ワタリガニが支える交流。
《 わたりがにが支える交流 》
わたりがにクレイジー コロナの自粛が解除された今
![]() 皆様、こんにちは。
いつも松屋をご贔屓にくださり、本当にありがとうございます。 松屋の濱田です。 このメールは、私が厳選し、松屋を贔屓にしてくださる方々へのみお送りしております。 今回より松屋のメールマガジンは「わたりがにクレイジー」と、真面目な内容でありつつ、 ちょっとリラックスできる要素も入れた読み物テイストにリニューアルさせていただきました。 タイトルへのツッコミは個々に入れていただくとして、引き続きよろしくお願いいたします。 |
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梅雨になると鱧が美味しくなります。
梅雨になりましたが
鱧は梅雨になりその雨水を飲み
日に日に美味しくなるといいます。
鱧というと京都の祇園祭りや
大阪の天神祭りを思い出されると思います。
暑い時には、口触りが良く
梅肉や辛子味噌で食べると
食欲が増してきます。
鱧の料理をしている光景は
シャリシャリと鱧の骨切りの
音が季節感を教えてくれます・
泉州地域泉佐野では鱧料理といえば
「鱧すき」です。
新玉葱と鱧の味のついた出汁で
食べる郷土料理です。
そう、今では玉ねぎといえば
淡路島のイメージがありますが
実は生産日本一だったのは
泉州地域だったんです。
ご存じない方は多いですよね!
玉ねぎの新玉の時期には鱧鍋がおいしいと
泉州の浜筋では
風物詩のように
鱧すきが一般庶民に愛され
食べられていたんですよ!
是非一度本家本元の鱧すき鍋を
ご賞味ください。
免疫力をあげましょう「!!
割烹松屋 濱田
気にして頂きありがとうございます。オスガニが旬。
自粛が解除されいつ日常に戻るのか
少し不安になっていた今日この頃
常連のお客様が週末はご予約を
たくさんの方に頂きました。
お母さまを連れて鱧鍋を
ご夫婦の記念日に
皆さんを誘って、今旬のオスガニの
かにづくし会席を来て頂きました。
皆さん
「どうですか?大丈夫ですか?
気になってたんです。
食事に来ても大丈夫ですか?
頑張りましょう」と
皆さんお声をかけて頂きました。
皆さん気にかけていてくれ
スタッフ一同とても勇気頂きました。
本日蟹のお造りを食べられたお客様は
「凄い!こんなに身が厚いとは
甘くてこの食感は初めてです。」と
はじめて食べられた方は
驚いておられました。
皆さん和気あいあいと良い雰囲気で
食事して頂きました。
そんなうれしい1日でした。
割烹松屋 濱田
わたりがにがオスガニに変わります。
なぜワタリガニ専門店なのか。割烹松屋
なぜワタリガ二専門店なのか?
いつもお世話になりありがとうございます。
今年の四月で創業56年になりました。
昭和39年4月に泉佐野市上町で
父と母が開業いたしました。
私は当時3歳でした。
当時、大阪湾ではわたりがにが
とても沢山取れました。
私が小学校の時は
土曜日のお昼の食卓には
蟹の小さいのと、タコなどが
上がっていました。
「またカニとタコなんや!
オムライスや、コロッケの方が
いいのに。」とよく2つ下の弟と
言ってました。
今思えば贅沢な話ですね。
その当時から蟹のお鍋
「かにちり」を中心に地元の
お客様にご利用頂いてました。
特に地元の会社さんや社長さんに
かわいがられて今日があると聞いています。
それからは、わたりがにも中心でしたが
一般にいう、お祝い事や法事など
色々な仕事がありましたので
土日は夜なべも当たり前でした。
しかしバブルがはじけ、得意先の会社さんも
やめていくところも多く大変だった
事が思い出されます。
その当時もワタリガニは大阪湾で
とてもよくとれていました。
しかし蟹の値段も高騰し、外国産の
わたりがにも良く見られるように
なりました。
昔から、わたりがにだけは
手を出すな。
生きていないと調理できないのに
すぐに水槽で死んでしまうからです。
ですから美味しいとわかっていても
誰もそれを冠にしたお店をするという事は
誰も考えなかったようです。
やはり扱いが難しく
手間も動力もかかります。
それ以上にロスが大変かかりますから
命がけで向き合う覚悟がないと
できない仕事です。
決してネガティブではありませんが
仕入れや、1日で死んでしまう事などは
決して計画通りに、
うまくいったことが一つもありません。
台風や雨降りが続くと
入荷が10日くらいないこともざらですし
それを回避するためにかにをたくさん仕入れると
蟹が毎日20匹から30匹死にます。
毎年2から3回全滅することもあります。
上手くいった試しが一度もありません。
それを逆に受け入れて楽しむしかないのです。
お店が暇な時もありますし、
今までももう終わりや、やめようと
思ったことも何回もありますが
何とか踏みとどまり
色々な方からの応援で今日まで
やってこれたと人の思いに
感謝しかありません。
おそらくワタリガニ専門店は
365日いつ来ても生きたワタリガニが
食べれるのは割烹松屋しかないと
思っています。
ですからそもそもなぜワタリガニ専門店
をやっているのかと理由がここにあります。
私たちがやめてしまえば大阪湾の
泉州地域の食文化や風習が
なくなってしまうからです。
この変わったワタリガニを自分たちが
やり切り、全国だけでなく
世界の人にわたりがにの美味しさを
知って頂きたい。
私には世界にこの味を伝える使命がある。
そう感じています。
長文になり申し訳ありません。
お付き合いありがとうございます。
割烹松屋 濱田